近い将来、地球は滅亡するらしい。
仕事帰り、馴染みのバーに立ち寄ると、カウンターの隅っこで常連客数名がそんな話題をしていた。
彼らは昨年や一昨年にも同じ話題をしていた記憶があるので、きっとその時は奇跡的に滅亡しなかったのだろう。
彼らの地球滅亡論は具体的に滅亡する日時まで決まっていることが多く、長い場合は数年先ということもある。
正直僕はこの手の話題にあまり興味はないのだけど、久しぶりにその輪に入った。
仮に滅亡するにしても数年先ではうっかり忘れる可能性もあることから、Xデーが今から2日後に迫ったとしたら、みんなはどんな最期を迎えたいのか訊ねた。
先ず、真っ先に世の中にあるありとあらゆる貨幣や有価証券なんかが瞬時に紙クズになるだろうという点は、皆が一致した。
最近、専ら商売繁盛していると噂のベンチャー社長N君が憧れのポルシェを買った話を聞いたが、それも僅か48時間後には鉄クズになるのかと思うと、3ミリくらい気の毒になった。
食べ物はどうだろう。
2日しかないので食べ物に困ることはなかなか無さそうという話にはなったが、最後の日に食べる1日の献立に関しては、かなり悩んでいた。
冷静に考えれば、ぶっ通しで好きなものを食べ続ければいいと思うが、滅亡を前にして朝・昼・晩の献立を律儀に考えている彼らの品格を目の当たりにし、ガサツな自分を反省した。
輪の中にいた一人の女の子は、トイレットペーパーは是が非でも確保したいと言い出した。
すると、そこにいる女性陣もすぐ同意した。
48時間しかないというのにトイレットペーパーの心配をすること自体がすごいと思うが、その理由も
「いろいろなモノが拭ける」
という至って普通の内容だった。
トイレットペーパーと言えば“アレ”を拭くくらいしか思いつかないが、きっと彼女たちは滅亡寸前になっても、いろいろなモノを拭かなくてはならないやんごとなき事情があるのだろう。
そんな話をしている間に1時間が経過し、残された時間は47時間になってしまった。
次に、治安はどうなんだという話になった。
ありとあらゆる物資が略奪される可能性も考えられなくはないが、悪いヤツが盗品をフリマサイトに出品し終えたとき、宇宙の星になっているはずだ。
おそらく自衛隊や警察官に限らず、かなりの確率で人類が一斉に仕事を放棄するだろう。
そうなるとあちこち無法地帯になることも考えたが、滅亡までの時間が短すぎると、そこまでひどくはならないのではないかという極めて楽観的な予測となった。
また、別の男の子はアフリカの美しい草原で、動物たちに囲まれて終わりたいと言ったが、唐突な彼の思い付きのために、パイロットがアフリカまで運んでくれないだろうし、お金をどれだけ積んでも無意味だろうことから、あまり遠くに行くことも不可能に近いだろう。
徐々に話題が方向性を見失いつつある一方、時間もどんどん溶けていく。
しばらくして、店の接客でバタバタしていたマスターが僕たちの会話に参加すると、俺は最期の瞬間まで客のために店を開けておくと言った。
あまりにも短い時間ではそれくらいしかできないだろうし、心ゆくまで飲みながら滅亡というストーリーは、最もリアルなのかもしれない。
盛り上がっていた常連たちを見渡すと、彼らはまるでヒーローを見るかのような憧れの視線をマスターに送っていたが、マスターが一言だけ断りを入れた。
「ただ、最後の日は今のメニューの5割増しね」
田所敦嗣さんの著書

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
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田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。