拙著を読んでいただいた方から、海外のことを話してもらえることが増えた。
本というのはびっくりするほどいろんな作用があって、何度か会って話すことより、実感として数十倍も自分のできごとを知ってもらえる。
ただ一言、「読者です」と言ってくれるだけで、最初からいろんなコミュニケーションをすっ飛ばして具体的な話をすることのできる魔法の様な経験で、時がどれだけ経過しても、いつも感動してしまう。
話題はある国に行った体験や文化、変わった食べ物と広範囲に及ぶが、それと等しいくらい、未だ海外に出たことがないんですというお話もいただく。
ある日、そんな会話をされたことを思い出していたら、海外に出た人と、そうでない人の違いはなんだろうと思った。
いま自分が住んでいる国と、それ以外の国。
国という概念を決めているのは人間で、人間だけのものではない地球という惑星の中で、勝手にそう決めている。
世界を回遊するサカナにその概念は無いだろうし、おそらくパスポートは持っていないと思う。
渡り鳥も空気も灰も、国境など関係なく地球を自由に往来する。
未開の地に足を踏み入れたと聞けばなんだか壮大なイメージが湧くけど、地球に足を踏み入れたと言われたら、みんなも今まさに同じですと答えるだろう。
僕より何倍も旅を愉しむ人たちから、旅の醍醐味は距離に比例しないという言葉をよく聞く。
ポーランドでも夜中に路上で大の字になって寝ている酔っぱらいの若者はいたし、先日も新橋駅近くの道端で、とても幸せそうに寝ているおじさんがいた。
いま渡されたばかりのソフトクリームを、一口も食べないまま地球(地面)に返還する少年はアメリカにもいたし、左右あべこべの靴を履いて通勤してきたメキシコの仲間もいた。
サハラ砂漠やアタカマ砂漠の砂と、家の窓を開けたら見える公園の砂も同じ砂でできていて、そこが砂漠だと感じたら砂漠になる。
そう考えれば、自宅から1マイルもあれば世界のほとんどが詰まっていると思って間違いないだろう.
僕が好きな作家に、カヌーイーストでもある野田知佑さんがいる。
野田知佑(のだ・ともすけ)
1938年1月2日生まれ。熊本県出身。早稲田大学第一文学部英文学科卒業。国内外の川をカヌーで旅してきたカヌーイストであり、川遊びカヌーを提唱した日本のツーリングカヌーの先駆者。主な著書に『北極海へ』、『ユーコン漂流』、『カヌー犬・ガク』などがある。1982年に『日本の川を旅する』で日本ノンフィクション賞(新人賞)を受賞。1998年に毎日スポーツ人賞文化賞を受賞。モンベルブックスから『ナイル川を下ってみないか』、『ユーコン漂流』、『日本の川を旅する』を出版。
——モンベルブックスより抜粋
彼は昔インタビューで、世界の川と日本の川は何が違うかと質問された際、どちらも基本的には同じだが、ひと漕ぎひと漕ぎで景色が変わる川は楽しいと話していた。
それを聞いた時、毎日歩く何気ない道や電車から見える景色を蔑ろにしているのではないか。
日常にある色んな場所を小さく細かく楽しめる力があったら、もっと幸せになれるのではないかと感じるようになった。
どんな遠い場所でも近い場所でも人は人で、山は山であり、海は海である。
毎朝毎晩、ほぼ同じ道を散歩している僕の犬はいつも目を輝かせながら、まるで初めて通る様な顔をして歩く。
一緒にいて彼から見習うべきことは多々あるし、これからもそうだろう。
毎日起きる日々の事象がいつか“当たり前のこと”と感じてしまうというのは危険だなと思うこともあり、そんな時は好きな旅人の本や、アドラー心理学を読み返すことにしている。
世界に転がる未開を知る幸せは、いつにでも、どこにでも溢れている。
田所敦嗣さんの著書

スローシャッター
田所敦嗣|ひろのぶと株式会社
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田所敦嗣
エッセイ
千葉県生まれ。水産系商社に勤務。エッセイスト。著書 『スローシャッター』(ひろのぶと株式会社)で、SNS本大賞「エッセイ部門」受賞(2023年)。フライ(釣り)、写真、野球とソフトボールが趣味。人前で声が通らないのがコンプレックス。