頭の中で、文章が鳴り響いている。
あの記事、この記事。入稿しなければいけない、その記事。記事になるのを順番に待って行列をつくるインタビューの録音の数々、「街角diary」……。
あっちの原稿がブワンと頭に浮かび、こちらの取材の声がグインと耳に響き、そちらのトピックで出たフレーズがポンと目に浮かぶ。全部の文章が、四方八方から押し寄せてくる。
それぞれに言葉が浮かんでいるのだから、すぐにでも書けそうなものなのに、一度に押し寄せてくるものだから、文章が洪水を起こしてどうにも呆然としてしまい、書けない。
朝の満員電車の光景みたい。一人ずつ順番に出ればすんなり行くのに、みんなが我先にと進もうとするから詰まってしまって、なかなか外に出られなくなっている様子。今朝の私の頭の中は、あれに、似ている。
頭に響く文章たちで酔ってしまった。
私の肩書きは、「編集」です。職業を聞かれたら、まず「編集者」と答える。
前職の肩書は「コンテンツディレクター」。カタカナは分かりにくいし、「Webを中心とする編集」と言うことが多かった。
ライティングを担うこともあります。
今も個人でライティングのお仕事をいただくことはあるし、前職でも自分で記事の執筆を担うことは度々あった。
それでも、振り返ってみると、「ライター」が1番目の肩書きだったことはない。
それなのに。ここ数ヶ月は、これまでの人生の中で1番何かを書き続けている。なぜだ……。とにかく書いている。何かを書いている。
あれ、私、編集じゃなかったっけ? 目の前の一つひとつに追われていないで、もっと全体のビジョンや進行を見ないといけないんじゃなかったっけ?
ふと、自分で不安になる。
それでも書くものは隊列を組んで順番が来るのを待っているから、一つずつTo Doリストに書き起こして横線を引いていくより他ないのだけども。
洪水する文章で酔った頭で、一度書くものから離れて、新聞を読むことにした。
以前は——学生の頃くらいまで遡るけれど——記者志望だった。正確には、記者とライターと編集の違いがあまり分かっていなかったとも思う。
でも、いろんなライターさんと出会ううちに。書籍の編集をひろのぶと株式会社で担って著者の文章に触れるうちに。
あ、私には書くものがないな、と感じるようになった。書きたいことが、ない。いつも、なにかがどこか芯を食わずに上の空。
天才って、いるんですよ。
そして、自分がその天才ではないことも、感じるんですよ。
だけど、それでも私は、天才を支える秀才にはなれるかなって。
うん、じゃあ、書かなくていいいのだ。光るもののある“書きたい人”の文章の第一の読者になって、より伝わるように伴走するほうが好きだし、いい。それが役目だろう。
そう、思うようになった。
——と、言い切れればいいのだけれど。一方で、それでも、書きたいんじゃない? と問うてくる自分がいる。自分の顔と名前で生きたいんじゃない? と問うてくる自分がいる。
別に、有名になりたいわけじゃない。注目もされたくないし、影響力も欲しくない。だから書くのも、いい人や物事が伝えられる記事ができたら、自分は出なくていい、出ないほうがいい。
だけど、本当に何かを伝えたければ——この著者、こんなに素敵な人なんです、こんな活動があるんですと大きなメガホンで世間に知ってもらいたければ——やっぱり、自分にも力がなければいけない。
自分は、力は欲しくない。だけど、伝えたいものを伝えるために、力が欲しい。
本当に自分が望んでいるのは、どっち?
「つーさんは、一回めちゃくちゃをやってみなあかんよ。次の『街角diary』、しょーもないようなことめちゃくちゃに書いたら?」
宣伝会議・田中泰延クラスの課題に自身でダメ出しをする私に、泰延さんが言った。
でも、やりたくない。自分のそれは読みたくないし嫌い。大嫌い。
理由はきっと、自分で自分を「そないに面白くない人間や」と思っているから。
それがあかんのやと。それがストッパーになっているのやと。それは思い込みであって、そこを突破しないと上がれない階段があるのだと。それは、そう。
そこに挑んでステージを上がるのか、それとも今のそこそこの場所でちょろちょろ動き回って満足するのか。それが私自身の生き方の選択であることも、それは、そう。
だけどね、今じゃない。洪水になる文章が並んでいる、今じゃないのですよ——。
新聞の開いたページに、映画『国宝』の記事が。私は、3回観に行きました。3回目を一緒に観に行った加納さんには「3回も……」と不思議がられてしまったけれど。
その記事を見て、ふと、ある声が自分の奥から聞こえてきた。
「あんなふうには、生きられないよなぁ」
歌舞伎の興行を手掛ける「三友」の社員・竹野(三浦貴大)が、「曽根崎心中」のお初を命懸けで演じる俊介(横浜流星)と喜久雄(吉沢亮)を舞台袖から見ながらつぶやく言葉。
3回のうちの後半2回は、このセリフを聞くために行ったと言ってもいいくらい、グッとくる。
あんなふうには、生きられないんだよ。
でも。でも、です。
その言葉が1番グッとくるってことは、きっと諦められていなくて、「あんなふうに生きたい」と思っている自分が、奥底の奥にはいるんだよなぁ。そういうふうには生きられなくても、そういうふうに生きようと求め続けるしか、ないんだよなぁ。
新聞を閉じて折り畳む。読み始めて、30分が過ぎていた。
それまで響いていた頭の中の文章たちが、少し静まって行儀良く順番を待っている。酔いも、軽くなった。
形のない頭の中やwebの中ではなく、紙の上の文字と向き合ったことで、自分が少し3次元に降りてきて、整理されたのかなと思う。
To Doリストは1つも消えない30分だったけれど、To Doリストを進めるよりも生産性の高い30分だったのでしょう。
書くとき。迷うとき。
やっぱり、頭の中で終わらない紙は強い。
これからも、形ないもので溺れそうになったら、本や新聞を手にすることにしよう。
廣瀬 翼
レポート / インタビュー
1992年生まれ、大阪出身。編集・ライター。学生時代にベトナムで日本語教師を経験。食物アレルギー対応旅行の運営を経て、編集・ライターとなる。『全部を賭けない恋がはじまれば』が初の書籍編集。以降、ひろのぶと株式会社の書籍編集を担当。好きな本は『西の魔女が死んだ』(梨木香歩・著、新潮文庫)、好きな映画は『日日是好日』『プラダを着た悪魔』。忘れられないステージはシルヴィ・ギエムの『ボレロ』。